たまには日記風の記事も書いてみようかなと思います。
この2週間くらい色々な出張が続いたので、ノマドな研究生活を過ごしていました。
アメリカのボストンでCogSci2011に参加したり、現地の院生と交流したり、学習科学のセンターであるCELSETを訪問してきたりしました。
帰国してからも京都にいき、大学生研究フォーラムへの参加や、共同研究の打ち合わせ等をしてきました。
出会った先生、院生の数はものすごい数になり、そしてかなり様々な領域の人とお話しすることができました。
自分にとってこの2週間は、移動で大変だったことはありつつも、自分の研究人生にとって非常に大きな経験をすることができたように思います。
では何がそれほど自分にとってよかったのか。これについて少し考えてみたいと思います。
■遠く離れることで日常を異化する
今回僕にとって大事だったことは、時間的にも、空間的にも、日常から離れることができたことだと思っています。
普段いる日常では、なにが日常なのか、なにが問い直すべきことで、なにがそのままでよいのかがわからなくなってきます。リフレクション(振り返り)が大事であることはわかっていても、そもそも何をどこまでリフレクションするべきかがわからなくなるわけです。
しかし、遠く離れ、違った生活を行うとそれが見えてきます。
今回の旅を通して思ったことは、あらためて自分が大事にすべき時間が見えたことかなと思っています。当たり前だと思っていたものの時間を問い直す必要があるなと。
僕だけにしかできないこと、僕が本当にやりたい・時間を使いたいことはなにか、というのが少しだけ明らかになったように思います。これまでの日常が「これに時間を使わなければならない」というmust思考になりすぎていた部分をかなり感じました。
そうではなく何がやりたいことであるのかというwant思考の部分を少し取り戻すことができたように思います。
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いわゆる「ワークショップ」でも、こうしたこと(日常の異化・振り返り)を狙うことがあると思います。しかし、やはりワークショップの場合は、時間的にも、空間的にも限られたものになります。
1週間以上、そして、1万キロ離れた場所でじっくり考えられたことは僕にとっては非常に贅沢な時間でした。
時間・空間的にリッチな時間は、思考を深いものとし、また、新しい発想を体に馴染ませるだけの時間的余裕を持てるように思います。頭で考えていることが体になじむまでには時間がかかります。短期間の振り返りだと頭では気づけても、体になじまないまままた日常に戻ってしまうように思います。
■多様な他者との出会い
この2週間は短い間に本当に多くの人たちと出会いました。色々なレイヤーのひとたちとの出会いやディスカッションがあったと思います。
・チョムスキー、トマセロといった大御所の研究者の発表を聞けた
・三宅なほみ先生など、日本の研究者の方々といろいろなディスカッションができた
・海外の院生や研究者と交流できた
・海外で活躍する日本人の院生とディスカッションできた
・日本のさまざまな研究室の院生とディスカッションできた
それぞれによって学んだことは異なりました。
・本の中だけで見る人を目の前で見ることで感じる実感
・同じテーマについて先生とディスカッションできる楽しさ
・「研究」ということを通して、世界と交流できる楽しさ
・同じくらいの世代でがんばっている人と話すことで得る刺激
などがあったと思います。これだけたくさんの人と出会ったり、ディスカッションしたりして、刺激を受けるというのは、毎日研究室に通うだけではできないことかなと思いました。
もちろん、研究室に足繁くかよって研究を着々と進めることが大事なのは言うまでもありません。しかし、これだけではどうしても煮詰まりますよね。その部分をかなり解消できたように思いました。
■ひとりのチャレンジャーになるということ
こうした日常と異なる状況や、多様な他者との出会いは自分にどんな変化を与えたのでしょうか。
その1つは「ひとりのチャレンジャーになれる」ということなのかなと思います。
もちろん僕はそもそも駆け出しで何者でもないわけですが、自分の研究室で何年も過ごしていると、少しずつ先輩としてふるまようになります。研究室の中では学年も上がってきて、マネージャーとして振る舞うことも当然多くなるわけです。
教えられる機会よりも、教える機会が少しずつ増えてきます。わからないことよりも、わかっていることの方が少しずつ増えてきます。それ自体は悪いことではありません。
しかし、その中でちょっとずつチャレンジャー的な気持ちが薄れていくように思います。気づけば、新しいことを自分が学ぶというよりも、自分が学んだことの切り売り的なことにならざるを得ない部分もあるように思います。
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今回のような場にでていくと、学んだことを使いながらディスカッションしたりするのですが、それだけでは足りない点、勉強しなくてはならない点にたくさん気づくことができます。
これはある意味厳しいことであるのですが、むしろ「自分の成長の伸びしろ」を実感することができます。「ここをもっと勉強して成長したい」という気持ちにあらためてなれるんですね。その意味で今回の旅は大きかったと思います。
■自分の研究の「哲学」を持つ
もう1点、今回の旅にでて気づいたことは、「研究において自分なりの哲学を持つこと」の大事さです。哲学という言葉でうまく表現できているかわかりませんが、言い方を変えるならば、根源的な問いを持つことの大事さみたいなイメージでしょうか。
自分が話を聞いていて面白いと思う人はみな「人間とは何か」、「学ぶとはいかなることか」、「人のコミュニケーションとはいかなるものなのか」等という問いをどこかに持っているんですよね。研究としてやっていることはそのひとつの媒介というか手段のように見えるんですね。
研究は研究としてしっかりかたちを持ちながらも、その後ろに大きな問いや広がりが見えてくるわけです。これがすごくいいなと思いました。
日常の中にいると「論文は論文としてかたちにすればよい」ということで、大きな問いを考えることがなくなってしまうことがあると思います。もちろん、その逆で、大きな問いを持ちすぎることで「論文としてかたち
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