神戸女学院大学の名誉教授である内田樹先生の「生き方論・幸福論」に関する本です。内田先生の本はこれまでいろいろ読みましたが、この本はたまたま書店で見つけたのでふらっと買ってみました。
この本は「ちょっとがんばりすぎちゃう人」におすすめの本のように思います。
内田先生らしいなと思うのは「気休めのやさしいことば」をかけてくれるというよりも、「あなたが前提にしているその価値観おかしくないですか?」というのをそっと問いかけてくれるような仕上がりになっているところかなと思います。哲学的な本ともいえるかもしれません。
いいなと思った部分を引用してみます。
引用(p14)————-
人間というのは、強いけれど、弱い。がんばれるけれど、がんばればその分だけ疲れる。無理して先払いしたエネルギーは、必ず後で帳尻を合わせるために回収される。この当たり前のことを分かっていない人が多すぎると思います。
疲れたら、正直「ああ、へばった」と言って、手を抜くと言うことは、生きるためにはとてもたいせつなのです。疲れるのは健全であることの徴です。病気になるのは生きている証拠です。飽きるのは活動的であることのあかしです。
でも、「1ランク上の自分」に取り憑かれた人は、身体や精神が悲鳴をあげるまで痛んでも、なかなか休みません。疲れて立ち止まると、そういう自分を責めます。
それは自分の身体に対しても、精神力に対しても、酷ですよ。
向上心は確かにある方がいい。でもありすぎてはいけない。
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この本の中で、内田先生は「若い人の可能性は無限であり有限である」といいます。そして、無限の可能性のために、有限であることを知りなさいといいます。
引用した部分にあるように、無理すれば体は壊れてしまうわけですね。そういう有限の世界の中に生きていることを知ることで、自分の無限の可能性を伸ばすことができるという話だと思います。
自分の周りだけかもしれませんが「ふまじめで困る」という人とはあまり会わないような気がします。それよりも「まじめすぎて休めない人」のほうがよっぽど多く会います。そんな人に読んでもらいたい本だなと思います。
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いろいろな本を読んで気づいたのですが、結局充実した人生を送るためには「自分自身を大事にする」ということが共通する点かなと思います。
「自分のことが嫌い」とか「自分自身に対する大きな不全感」というのは、一見モチベーションにつながるように見えて、なにをやっても充足感が得られないようなかんじがしています。
充足感を得るためには、自分自身を好きになったり、自分の中の可能性の芽に対して、あたたかく水をやって育てる必要があるように思います。
イメージ的には「不全感のスパイラル」ではなく「充足感のスパイラル」が大事なのではないかと思っています。ちゃんと説明できているかあやしいですが僕の持っているイメージはこんなかんじです。
不全感のスパイラル
- 他の人に比べて自分のここが足りない
- 足りない自分が嫌い
- 嫌いだから埋めようとがんばる
- 埋めきれない もしくは 埋めたところで他の足りないところに気づいてしまう
- また埋めようと努力する
充足感のスパイラル
- なにか新しいことをやりたいと思う
- 少しだけ上手になる
- 上手になった自分を少し好きになる
- 上手になったのでもう少し上手になりたいと思う
- 上手になったので満足感をえる
- もう少し上手になりたいと思う
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ということで、僕もこういうことを意識しながら、充足感のスパイラルをまわしていきたいなと思います!
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