立教授業をつくるようになって5年が経ちました。その間に、いろいろな新しい試みをやってきたわけなんですが、それらは「ポンッ」と出てきたアイデアではなく、実際にはある意味で「大きな大きな学びの設計図」というか、「この施策が、これにつながって、これをやることが、次のこれの布石になって」という、関連図やエコシステムのなかで、ひとつひとつ構築してきました。
もちろん元々その「完成図」を頭の中に明確に描いて、それに従って逆算的につくっているというほどではなく、なんとなくもっと漠然としたものではあります。
しかしだからといって、行き当たりばったりで新しいものを構築しているわけではなく、大きな広がりの中にひとつひとつのパーツを位置づけながら、実際につくることを通して、また全体のマップが更新されていくようなそんな作り方をしてきたようなかんじがしています。
例えば、
・なぜ学生スタッフを増やすのか?なぜ学生スタッフにその役割を付与するのか?
・なぜ授業のやり方をこのようにかえるのか?
・なぜこの授業にこの人を呼ぶのか?
などには、それぞれ点としての意図だけでなく、全体としての意図がすべて盛り込まれています。この一手が通ることで、次に3通りの攻めの方向性が広がるような、そんな手を指し続けてきたつもりです。
とはいえ、このあたりの私なりの構想のマップのようなものは自分の頭の中にだけあるもので、その時々に構想は話すものの、全体像を描くことはありませんでした。全体像を描くのはそもそも大変ですし、自分自身もその全体像を実は無意識的に考えているということにも気づいていなかったからともいえます。
ただ、自分のなかでそういう設計図があるなあと思った以上、それがどのようなものになるかはさておき、設計図として全体像を描いてみたいという欲求がでてきました。設計図をつくることで、他者と共有可能になり、またさらなる大きなコンセプトの作成ができるかもしれないからです。
▼
学びの場をデザインするということは、この大きな大きな設計図を構想できるかということでもあるよなーとあらためて感じたりもします。
ぼくにとって授業やワークショップのデザインは、その構成要素の一つであり、それらはある意味で「点」であるといえます。
・どうやってアクティブラーニング型授業をするのか?
・SA制度をどう構築しているのか?
など、個々のデザインは重要なのですが、「その総体として何を描くのか?」が本当は議論したいことです。
もちろん、その「点」をデザインできなければ、大きな構想も実現できないわけですが、点を束ねて何がしたいのか?という、大きな意味でのエコシステムの構想そのものが大切になってきます。
こうしたエコシステムの構想をこれまである種、直感的にやってきたわけですが、これらをもう少し可視化していきつつ、エコシステムをつくるというのはどういうことなのかを議論していきたいなと最近考えています。
たぶんこのあたりの考えは水越伸先生の「メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする」などが発想的には近いのだろうと思います。
今日は最近考えていることをたらたらと書いてみました。
学びの設計図かいてみようと思います。
紀伊國屋書店
売り上げランキング: 611,303