教育方法の議論はいろいろありますが、結局ここがポイントになるよなと最近考えています。
いろんな教育方法の議論はあるけど、最終的にひとつ行き着くのは、学習者本人の「何かになりたい・やってみたい」などの目標・目的意識があるかないかという話。さらにいえばそういうものを持つ手助けができるのか?ということ。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年9月8日
京都大学の溝上先生の研究で「将来の見通しあり・なし」と、それに向けて「何か行動を実行している・していない」でタイプ分けをしているものがある。「見通しなし」グループに対する支援、「見通しあり・実行なし」グループに対する支援ではまた方法が異なるだろう。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年9月8日
「やりたいことは何?」と聞かれると、ついつい答えるのがつらいという経験は多いと思うが、たぶん潜在的にはなにかあることも多いのだろう。「やるべき」「やったほうがいい」も重要だが、「やりたい」「好き・嫌い」みたいな感覚を無にしようと思うとかえって大変なのかも。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年9月8日
ただもちろん「何かをやりたい」「やれる」と思っているのは、いろいろな成功体験がベースになっていることもあるはずで、そういう希望を持つのがつらい学習性無気力状態に環境になってしまうこともおおいにあるだろう。環境面、個人面の両方からアプローチしないと厳しい。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年9月8日
教育としてはなにかの「やり方」とかを教えることはできるのですが、そもそも「そのやり方を使いたいと思っているか」というところは学習をする上で非常に重要になってきます。リーダーシップのやり方を教えたとしても、発揮したいことがなければやはりどうにも学べないという部分はあるでしょう。
もちろん「やりたいこと」は事前に見つける必要はなく、何かをやっているうちに「これが自分のやりたいことかも!」と発見することもたくさんあります。「考えてから動く」よりも「動きながら考える」という姿勢は大切になります。
とはいえ、こういうことをどうやって支援したらよいのか?というのはやはりなかなか難しいところです。ツイートでも書いたように、対象者の状態によって支援のあり方は変わってくるでしょう。「なんとなくあるけど意識化されていない人」から「そもそも希望を持てない無気力状態にならざるえない人」まで、それぞれに対してアプローチはかわってきそうです。
最近ポイントになりそうだと思うのは「小さい成功体験(人に感謝される経験)」なのかなと思っています。自分だけが得する体験というよりも、それによって「自分の周りの環境がちょっとでもかわる体験」というのでしょうか。「自分の周りの環境が自分の働きかけで変わるかもしれない」という希望は、なにかを学ぶ原動力につながるんじゃないかと最近よく考えています。
もちろんこれはひとつのアプローチなのですが、このあたりのやり方については少しずつ整理をしていきたいと思っています。
人はどういうときに目標を持つのでしょうかね。
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