先日大学生と話していて印象に残ったことがあります。それは、自分の成長よりも「他人の成長」のほうが上手に説明できるという点です。会話のイメージを書いてみるとこんなかんじです。
舘野:「前期にこういう活動をやっていたけど、自分として成長したと思う?」
学生:「うーん、正直よくわからないんですよね。色々やったけど、実際に自分に何が身についたのか・・・。本当に成長しているのかなと思うこともあります。」
ぼくからすると明らかにいろんな成長をしていると思う人でもこういうかんじの返答がかえってきます。一方で、その人の友達について聞いてみると、すごく色々な視点がでてきます。
舘野:「周りの人を見ていて成長したなと思う人はいる?」
学生:「いますね。例えば、○○は明らかに成長したと思います。最初は○○だったけれど、後半○○で・・・」
こんなかんじで、自分の話の数倍詳しく話してくれます(笑)しかも、そこで話す内容は非常に的を得ているというか、「よく見ているな」というかんじなのですよね。実際は「あなたも同じくらい成長しているんだけどなあ」と思いつつ聞いています。
これはどうしてなのでしょうかね。単純に「自分が成長したことやできるようになったこと」を人に話すのは恥ずかしいというのもあるとは思います。また「自分のことほどよくわからない」というのも、言われてみれば納得なかんじがします。目標を高く設定している人ほど、自分に厳しいというのもあるかもしれません。
でも、実際色々成長しているはずなのに、それを気づかないままだったり、それが自信につながらないというのはなんだかもったいないようなかんじもするなと思っています。自信満々である必要はありませんが、自分自身の力よりも低く見積もっている必要はないのかなと。
それを適切に引き上げるにはどうしたらよいのでしょうか。ひとつは、やはり振り返りは「フラットな関係にある他者と一緒にやる」ということなのかなと思います。やっぱりどうしても自分だけでは見えないものというのがたくさんあるものです。また、一緒にやってきた仲間だからこそ、「評価」というかんじではなく、共感を持って状況を共有できるのかなと思います。
プロジェクトなどが終わるとどうしても「終わってよかったー」ということで集まらなくなってしまいますが、終わった後にこそ、「お互いこんなところ成長できたと思う」ということをしっかり実感したり、味わう機会というのが重要なのかもしれないですね。
「経験する場」だけでなく、「経験を語る場」、そして評価でなく共感の場が重要なのかもしれませんね。
■関連書籍
振り返りの重要性についてわかりやすく知るにはこの本がよいかもです。