「た展(たてん)」とは、舘野ゼミが運営・実施する展示会です。立教大学経営学部の舘野泰一准教授が主宰するゼミのイベントとして実施しています。
「た展」の開催は、2024年の冬で3回目の実施となります。毎回ゼミ生による展示は40ブースを超え、参加者は、のべ100人を超えます。参加者は大学生や大学関係者にとどまらず、高校生や保護者や企業関係者まで幅広い参加者にお越しいただいています。
舘野ゼミでは、ゼミ生ひとりひとりが個人の好奇心・探究心をもとに、独自のテーマを立て、その成果を作品として発表します。作品の形式は、いわゆる研究成果に加えて、絵画や動画、体験型のワークショップなど多岐にわたります。
一般的な文系の大学では、論文やプレゼンテーションという形式で研究発表をすることがほとんどです。しかし、舘野ゼミでは、そうした形式に限定せず、個人の強みや、そのテーマの魅力が最大限発揮される形式で表現することを重視しています。
舘野ゼミで取り扱う内容は、経営学でいえば「マネジメント」の領域に位置付けられます。私自身もリーダーシップを中心に研究をしており、研究成果を企業の方向けに講演したり、研修というかたちで実施することも多くあります。
しかし、ゼミ生が選ぶ研究テーマはそうした枠にとらわれる必要はありません。「人や組織の本質」に迫るようなテーマであり、ゼミ生本人にとって情熱的に取り組みたいと思える課題であればなんでもOKです。
実際に、研究テーマは「企業や大学のリーダーシップやフォロワーシップ」に関わるものもあれば、「感情を写真の編集として表現するもの」や「矛盾する感情をテーマにオリジナルゲームを開発するもの」など、本当にさまざまです。参加型のカードゲーム型ワークショップなどもあります。「なるほど」と思うものから、「じーん」とくるもの、「つい笑顔になるもの」まで、さまざまな感情を体験することができます。
文系ゼミで展示会形式を取り入れる教育的な意義とは?
「展示会」という形式は、美大などアート系の大学では一般的な方法として取り入れられています。ではなぜ舘野ゼミではこのような形式を取り入れるのでしょうか。理由は2つあります。それは、(1)展示会をおこなうゼミ生にとっての意味と、(2)展示会に参加してくださる方にとっての意味に分かれます。
最初に、舘野ゼミ生にとっての意義について説明します。その理由は、舘野ゼミ生には、(1)自ら課題を決め、(2)自分のやりたい表現方法を選び、(3)個人で創ってやりきる経験をして欲しいからです。
近年の大学教育は、いわゆる話を聞くだけの「大講義」の授業だけでなく、企業に与えられた課題に対してプレゼンテーションをおこなうプロジェクト型の授業も多く行われるようになってきました。これ自体はとてもよいことです。
一方で、企業とのプロジェクト型授業では、(1)企業から課題を与えられ、(2)決められた表現方法で(多くは企画案のプレゼンテーション)、(3)グループで成果を生み出すこと、が一般的です。もちろん、これ自体にも意義はあるのですが、これだけでは「自ら決めて、やり切る経験」がどうしても不足してしまいます。
他人のニーズや顔色を察して、それに合わせたアウトプットを出すことは大切ですが、それだけでは、自分の気持ちを無視したり、押し殺す癖がついてしまいます。大学生にとっては、「他人から何を求められているか」を察することの方が「自分の好きなこと」を見つけるよりも簡単なのです。むしろ、これまでの学校生活の中で、十二分に「他者優先」の癖はついてしまっているのです。
しかし、他者のニーズを探して、それに合わせるだけではどこかで苦しくなっていきます。また、相手のニーズを探るだけでは、面白いアイデアを出すにも限界があります。そこで、展示会では、自らの「内側」から生まれるものをもとにアウトプットする経験をしてもらっています。
実際に、ゼミ生の持つ「繊細な視点」や「ユニークな表現方法」は、大人を凌駕する可能性を持っています。「大人に合わせる」のではなく、むしろ、「大人に学んでもらう機会」をつくりたいと思っています。
次に、展示会に参加してくださる方にとっての意義について説明します。それは「研究成果」を、多くの方に、理解しやすいかたちでお届けしたいからです。
大学の研究は「論文」にまとめるのが一般的です。その営み自体は、たしかに重要です。しかし、「論文」という形式は、研究者にとっては理解しやすいですが、必ずしも多くの人たちにとって理解しやすい表現方法とは言えません。
例えば、ゼミ生の親の立場になったときに、子どもが大学で何をしているのかは興味があるものの、卒業論文そのものを渡され、その発表会に参加してほしいと言われたら少しハードルが高いと感じるのではないでしょうか。
しかし実際は、ゼミ生が取り組んでいる課題は、大人から見ても本質的で面白い課題です。そうした課題に対して、学生がどのように取り組み、どのように考え、どのように伝えようと思っているかは、表現方法を工夫すれば「共有可能」です。
私は、研究成果は、研究コミュニティの中で消費されるものではなく、その成果を多くの人たちに共有可能なかたちとして表現し、その表現に対するリアクションをもとに、さらに進化していくのが理想だと考えます。
そのため、展示会では、大学生や研究者に限定せず、多くの方にご参加できる形式で実施しています。これまでの展示会でも、高校生から、ゼミ生のご両親まで、多くの方にご参加いただいています。大学で、ゼミ生のご両親とお会いする機会は、普通は卒業式くらいなものでしょう。ゼミ生の作品をもとにご両親とお話しするのはとても面白く、刺激的です。高校生の時に参加してくれたある学生は、来年から舘野ゼミに所属することになりました。
このように「た展」は、ゼミ生の研究テーマを媒介にして、多くの人たちが集まり、新たなコトを生み出しているのです。
た展を開催しようと思った舘野個人の想い
最後に、舘野がなぜ「た展」を実施しようと思ったのかの個人的な動機について述べます。
私は研究者として様々なテーマを探究していますが、より根源的に興味関心を持っているのは「新しいコトやモノが生まれる場はどうやったら創ることができるのか?」ということです。
その意味で「た展」という場はそれ自体が、私にとって好奇心と探究心から生まれた個人研究の作品そのものと言えます。舘野ゼミ生の持つ個性やポテンシャルをいかに発揮しやすい環境をつくるのか、そして、ゼミ生が創り出した作品をもとに、より大きなコミュニティにその熱を伝播させるためにはどうしたらいいのかは、まさに私自身が探究していることでもあります。
「た展」によって、大学や研究が狭い世界に閉じるのではなく「開かれた場」になり、新たなコトやモノが生み出されれば、大学も社会も双方にとってよいことしかありません。
「た展」に参加する人の年齢や立場は関係ありません。中心にあるのは、人間の好奇心と探究心です。だれかの好奇心や探究心に触れることで、つい自分も一緒になって考えたくなってしまいます。
このような好奇心と探究心が連鎖する場は、まさに「遊び」そのものです。「役に立つことをしよう」「学ぼう」「人を巻き込もう」などと思う必要はなく、その場に熱中していたら、結果として「役に立つことを学んでしまい、人が巻き込まれてしまう」のです。
私が「リーダーシップ」の研究をしながらも、「遊び(プレイフル)」という研究テーマを同時に探究しているのはこういう理由があります。「遊び」と言えるような場を生み出すことができれば、我々は結果として学んでしまうのです。
そして、人間の好奇心と探究心の大元には、たいてい「矛盾(パラドックス)」が潜んでいます。矛盾している現象は、我々の好奇心と探究心を刺激します。「あれ、おかしいな?」「あれ、なんでだろ?」というきっかけが、私たちを「遊び」に駆り立てるのです。
こうした理由から、舘野ゼミでは「リーダーシップ」「プレイフル」「パラドックス」「ワークショップ」という4つのキーワードが根底に流れているのです。
さて、ここまで「た展」について説明してきました。
まだまだ実験的な試みではありますが、私自身は毎回実施するたびに、学生たちの作品に感動し、参加者の方々とのコミュニケーションに刺激を受け、この展示会での出会いが縁で、新たなコトが生まれる経験をしています。今回の展示会も大変楽しみにしています。
もちろん、まだ私のこの説明だけでは「た展」についてわからないことはたくさんあるかもしれません。しかし、「新しい試み」というのは、いつだって最初は「ちょっとわかりにくい」ものなのです。「わかりやすい、新しいもの」というのは存在しません。
重要なのはいつだって好奇心と探究心です。「よくわからないけど、なんだか面白そう」と思っていただけたとしたら、それはあなたの好奇心と探究心が触発されている証拠です。
その触発をそのままにしておくことはもったいないです。ぜひ当日一緒に触発の連鎖を体験しましょう。
あなたもぜひ「た展」に遊びにきませんか?
<参加フォームはこちらです>
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe-EEXFYo1Pu6e35FdNCcTcse4Aq4KE9kaNAE_vt7nhwztv4Q/viewform