先日京都で大学生研究フォーラムに参加していたときに以下の連続ツイートをしました。そのときの文脈的には「インターンシップ」という手法を大学に取り入れるときに「そもそも何のために取り入れるか?」を検討することが重要という話だったのですが、これはインターンシップに限らず全ての教育方法にあてはまることかなと思います。
結局「学生にどのようになってほしいのか?」という理想像を具体的にイメージできないままに、「いろんな教育の新しい方法だけ入れよう」と考えるのはもうやめようということではないか。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年8月18日
もちろん新たな手法を導入しようとなるのは「暗黙的にこうなってほしい」という目的が共有されているからと捉えることもできる。でもたいていはその暗黙の前提が揃っていないことが多いのではないか。だから「方法だけ押しつけられる」といってやらない人もいるのだろう。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年8月18日
教育の目標は、日本全体として「だいたいこういうかんじ」という方向性は示せるけど、結局は「各学校の文脈にあわせてカスタマイズ」する必要がある。そのカスタマイズをしないで「ざっくりの目標」を掲げて、流行っている手法をいれても変化はないし、結局現場は疲弊してしまうのでは。
— 舘野 泰一 (@tatthiy) 2017年8月18日
新しい教育手法がでてくるとすぐに注目されますが、それは言ってみればすべて「方法」です。方法ということはすなわち、別になにか「目的やゴール」があるわけですね。ただどうしても私たちは、本来なんのための「方法」(道具)だったのかを忘れてしまい、「目の前に道具があるからその道具を使う」という状況になっているような気がしています。
もちろん「目的やゴール」というのもぼんやりは意識しているのかもしれませんが、重要なのは「自分なりの言葉で具体的に状況を描く」ということではないかと思います。例えば「深い学び」というキーワードがあったときに、目の前の学生が「深い学び」を得ている状態はどういう状態なんだろうか?ということを、言葉にして仲間と共有するということが実は大切なのかなと思います。
私たちが向かいたいゴールはなんなのか?ということを、個人、そして組織で意識できるようになると、おのずといろいろな手法や方法がすんなりと導入され、正しいカタチで使われていくのではないでしょうか。
■参考リンク
関連する内容を昨日ブログにアップしました。
アクティブラーニング型授業がカタチだけの導入にならないために
https://www.tate-lab.net/mt/2017/08/1620.html
■参考図書
カタチだけの参加型授業では結果的に自発性は育成できないのではないか?ということに関してはこちらの書籍の論文章でも書かせていただきました。なにかの参考になれば幸いです。
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